![]() (歎異抄・第二条の1) |
この第二条は大体五段に分かれます。
第一段は、「各々十余箇国の境を越えて…ひとえに往生極楽の道を問い聞かんがためなりけり。」
第二段は、「しかるに念仏よりほかに…よき人の仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり。」
第三段は、「念仏はまことに…いずれの行も及び難き身なればとても地獄は一定棲処ぞかし。」
第四段は、「弥陀の本願まことに…親鸞が申す旨またもって空しかるべからずそうろうか。」
第五段は、「詮ずるところ愚身の信心におきては斯くの如し。この上は念仏をとりて信じたてまつらんとも、また捨てんとも、面々の御計らいなり。」
となります。
本文を読んでわかりますように、この第二章の背景といたしましては、善鸞大徳の異義と日蓮聖人の無間地獄説を挙げることができます。それに驚いた関東の同行が、十余箇国の境を越えて命懸けになって京都の親鸞聖人の庵室に往生極楽の道を尋ねに来たというのが第二章であるとみていきたいと思います。
そこでまず、この章の初めにある、関東の同行が十余箇国の境を越えてやってきたのはいつ頃のことかについて考えてみますと、日蓮上人が建長5年・32歳の時、親鸞聖人81歳、安房国の清澄山において、法華経の行者といたしましては初めて唱題成仏・南無妙法蓮華経という題目を唱えた。そして「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という有名な『四箇格言』を宣言した。そして慈信房善鸞の異義に対する親鸞聖人の勘気、慈信房を義絶されたのが84歳の時である。81歳の時に日蓮上人が題目を唱えて念仏無間といい、慈信房が勘当になったのが84歳ですから、その間の82、3歳の時に関東の同行がやってきて、親鸞聖人に善鸞の異義について、その是非を尋ねたものですから、それをきっかけとして、ほっておけんというので慈信房を勘当されたと見るのが非常に妥当な見方ではないかと思います。だから、関東からお同行がやってきたのは恐らく親鸞聖人が82、3歳の時ではないかと思います。
日蓮宗の総本山は身延山ですが、日蓮が念仏無間ということを唱えた。それで関東のお同行たちが非常に影響を受けて、往生極楽の道はどういうことかと親鸞聖人に問うたというのが一つの問題です。
もう一つの問題は、親鸞聖人の息子である慈信房が親鸞聖人の名代として関東に下ったのです。ところが関東では、親鸞聖人の門弟が50名近くいて、3つ乃至4つのグループに分かれ、おのおのの所でおのおのの勢いを持っていた。そこに行きましたが、思うように関東を統一していくことはできないので、慈心房は、
「自分は夜密かに父から真宗の法門を教わった。君達の言っている念仏往生は間違っている。第18願の念仏はしぼんだ花だ。そんなものにいつまでも執着するのは間違いだから捨ててしまえ。」
ということを言うたので、関東の同行たちは非常に動揺したのです。
この第18願をしぼんだ花に喩えたというのは、どういう意味なのか解り難いのですが、しぼんだ花というのは含華(華に包まれている、華が開かない)である。つまりお念仏をしている人は化土に往生する。化土往生のことを含華という。そうして化土から地獄に堕ちるのだと。それは『歎異抄』の第17条に「辺地の往生を遂ぐる人、ついには地獄に堕つべすしということ」という異義があったのです。
それが結局念仏無間です。念仏を称えているというと、無間地獄に堕ちるという日蓮上人の考え方と一緒にして、辺地化土から地獄に堕ちるんだという異義があるということが出てまいります。
一方では慈信房、一方では日蓮上人と、内外同時に起きたものですから、
「それでは一度親鸞聖人の所へ行って聞こう。」
と思ってやってきた。こういうことを一応予備知識として持つことが必要であります。そうしてもう一度この章を読み直すというと、「なるほど、そうかなあ」と思われます。
第1段
「おのおの一余暇国の境を超えて身命を顧みずして」というのは非常に大袈裟なようですが、その時分は日数をかけねば京都まで来られなかったし、その道中は山あり川ありですから、実際命懸けです。しかも、お金が沢山かかりますからよほど平生から節約しておかないと、関東から京都へ旅をすることができなかった時代です。
第2段
「親鸞におきては、ただ念仏して……」の「ただ」という二字は二つにかかっていると思います。
一つは、「学問沙汰ならば南都北嶺に賢い学者がおられるから、その人達に問いなさい。」と、学問に簡んで「ただ」といわれた。即ち学問は不要である、ただお念仏である。そしてもう一つは、後に「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定棲み処ぞかし」とある、「いずれの行」とは諸行です。諸行に対して「ただ念仏」である。こういうふうに、「ただ」という文字が文章からいうと前後にかかってくるように思います。
そして、お念仏よりほかに往生の道はないのだというところに、暗に第18願をしぼんだ花に喩えた慈信房の異義に対して、念仏の一法こそ、法然聖人より教えられた往生の道であるとことを仰せられているようにも思います。
第3段
「念仏は、まことに…」とは日蓮上人の念仏無間に対した言葉です。
「何かこの頃日蓮という人が念仏したら無間地獄に堕ち込むということを言うているらしいが、私は浄土に生まれる種か地獄に堕ちる業か、そんなことは知らん。」
「たとえ法然聖人に騙されて念仏を称えて地獄に堕ちてもさらに後悔しません。その訳は他の行を励んで仏になる身が、念仏をしたから反対に地獄に堕ちたということになれば、法然聖人に騙されて地獄に堕ちたと言わんならんが、そんな行はとてもできん。地獄必定である。だから法然聖人が仰せられることならば、たとえ地獄に堕ちたりとも後悔せん。」
と、法然聖人に対して絶対随順の気持ちを表明されている。
以上の文章は非常に簡潔に書いてあるけれども、慈信房への義絶状とか、日蓮上人の念仏無間等の歴史的なことを念頭に入れて読んでみますと、なるほど、一言一言が重要な事件を背景にした御文であることが知られるのであります。
第4段
これは専修念仏のお法りというものが、古今一貫して、昔から現在に至るまで、間違いのいない真実の道であるということを示された一段であります。
そして、ここには親鸞聖人の本願観の核心ともいうべきものが出ており、それが七祖相承の中、略の相承として出ているのです。親鸞聖人の相承論は大体、「広・略・要」の三つになります。広とは三国伝統の七高僧です。それを略にいたしますと、ここに出ております善導大師と法然聖人です。さらに要から言いますと、法然聖人一師、善き人法然聖人から『選択本願念仏集』付属によって念仏の法門を伝承したと言われる。それで、ここでは略の伝統、伝承ということになるわけです。
さて次に、仏教というのは釈尊が説かれた教えである。この点から言うとキリスト教も同じことです。キリスト教はキリストが説いた教えですから。しかし、キリスト教と大きく違う所は、仏教は仏が説いた教えであると同時に、仏に成る教えであります。ところがキリスト教はキリストが説いた教えであるけれども、神にはなれない。神と人間とは異質的なものであって、絶対者である神の下僕となるのであって、永久に神にはなれない。仏教は皆が仏になる法であります。
ところが、仏が説いた教えという点で、仏説か非仏説かということが非常に問題になるのですが、親鸞聖人の考え方は、「釈尊が説いたから真実じゃ」というのではない。真実の教えというのは、本(もと)をいうと本願である。本願が真実なるが故に釈尊が開顕された、真実なるが故に、その真実に動かされて釈尊が説かれた。こういうのが親鸞聖人独特の宗教観であります。
「弥陀の本願まこと…」とは、この事実を明らかにされたものだから、仏説の上に弥陀の本願を出されているのです。本願から釈尊が出て来られた。その釈尊の教えというものを三国伝統の七高僧がずっと伝承された。そこに善導大師が出てこられ法然聖人が出て、親鸞が出てきた。そういう伝承の仕方が真宗独特の考え方になっています。
ですから、学問的に仏説であろうがなかろうが、結局は弥陀の本願が説かれているかどうかが問題になってくる。だから真宗の考え方は、たといお釈迦如来が『大経』を説かれなかったとしても、阿弥陀如来の本願が説いてあるならばそれは真実である。たとい釈尊が説かれたとしても、阿弥陀如来の本願が説かれなかったら、それは真実の法ではないという見識が浄土真宗の経典観であります。だから、親鸞聖人の経典観は釈尊が根本ではなく、弥陀の本願が根本である。それで釈尊の前に弥陀の本願を置かれるのです。
前の方に、
「念仏はまことに浄土に生まれる種にてやはんべらん、また地獄に堕つべき業にてやはんべるらん」
と、「お念仏というのは、ひょっとすると地獄に堕ちる業かもわからん」と、何か頼りないようなことを仰せられるが、今はそんなことを打ち消して、お念仏によって地獄に堕ちることは絶対にない。何故なら、この第18願の法は阿弥陀如来の本願が説いてあるのだ、阿弥陀如来の本願以外にまことはないのだ、弥陀の本願がまことである。それを受けて釈尊が開顕され、その開顕された経典によって善導大師、法然聖人が仰せられている。それは絶対に間違いないのだ。しかも親鸞は善き人法然聖人の仰せを素直に信じ、素直に伝承して貴方がたに言っているのだ。だから絶対に間違いはないと、絶対の確信を持ってお説きになっている姿が出ているわけです。
第5段
信仰というものは自分にとっては絶対的なものです。それで人がどう言おうが、こう言おうが、私は信じる。だから親鸞聖人にとっては絶対的なものです。
ところが、いかに自分が確信を持ちましても、万人の前に出したときには相対的である。人によっては親鸞の確信は間違っている、どうもあやふやだということになります。自分は間違いないと確信を持っている、それを人が信ずるか信じないかは、人の心が違いますから相対的になります。だから、いかに自分の信仰が絶対的だからといって人に押しつけることはできない。それで親鸞聖人は、
「詮ずるところ…斯くの如し」
と、自分の信仰はこうだと言われる。これが絶対的な信仰だと思います。
ところが、いかに絶対的な信仰を持ちましても、やはり念仏というものは相対的になります。そういう意味において、「面々の御計らいなり」と言うより他にない。
『ご消息・第8通』
このほど幾度かいただきましたお手紙の趣、詳しく拝見いたしました。さて慈信房の説く教えの趣に動かされて、常陸下野の人々の念仏なさっておられる様子が、年来承っていたところとはすっかり変わりあっておられると聞いております。返すがえす情けなく意外なことに思われます。
以前から、必ず浄土に生まれると言われている人々が慈信房と同じように、皆虚言を言っておられるとも知らず、この年来深く信頼しておりましたことは重ね重ね驚きあきれたことです。何故なら、露ばかりの疑いもないことをこそ浄土に生まれる信心と申すのでありますから、これによって必ず浄土に生まれるものと思っております。光明寺の善導和尚が信心の趣について教えになるところでは、「真実の信心が定められた後は、たとい弥陀のような仏や釈迦のような仏が空中に満ち満ちて、釈迦の教えや弥陀の教えは間違っているといわれても、露ばかりも疑いがあってはならない」と言われたように承っておりますから、それに違わぬように年来申しておりました。
ところが、慈信房ほどの者の言うことに動かされて常陸、下野の念仏者が皆心も動揺し、ついにはあれほど確かな証拠の書物を、私が力を尽くして数多く書いて差し上げますと、それを皆揃って捨てておいでになるということでありますから、もうあれこれ言う必要はありません。
まず第一に、慈信房が申している教えの趣を見ますに、あのような教義の呼び方は聞いたこともなく、まして習ったこともありませんから、私から慈信房に密かに教えることのできるわけもありません。
また夜も昼も慈信房一人に、人に隠して浄土のみ教えを教えたこともありません。もしこのことを慈信房に申しながら、言わないと嘘を言って隠し立てし、あるいはまた人知れず、人にも教えたことがありますならば、三宝を本として三界の諸天善神、四海の竜神八部、閻魔王界など、天地の神々や冥界の神々によって下される罰を、親鸞一人の身に悉く甘んじて受けようと思います。いまより後は、慈信房に対しては、親鸞の子であるという情を思い切りました。
仏の教えについてだけでなく、世間のことについても、思いも及ばない偽りや言葉にもかからないつまらないことを言い弘めておりますから、恐ろしいと思われる申し分などは数限りなくあります。中でも、この教えの様を聞きますのに、心も及ばない申し分であります。いささかも親鸞の身においては聞きもせず、教わりもしないことで、返すがえす呆れ果てた情けないことです。
弥陀の本願を捨てている慈信房の考えに人々が付き従って、親鸞をも偽りを言うものと陥れました。情けなく、不愉快なことであります。大方は『唯信抄』『自力他力事』『後世物語聞書』『一念多念分別事』『唯信抄文意』『一念多念文意』など、これらをご覧になりながら、慈信房の説く教えによって多くの念仏者たちがともに弥陀の本願を捨てておいでになられるように見えますことは、申しても詮ないことでありますから、このようなご書物などについては今後はお話になってはいけません。
また、『真宗の聞書』という貴方のお書きになったものは、少しも私の申していることと違いがありませんので嬉しく存じます。『真宗の聞書』の一部はここにいただいておいておきます。
また、哀愍房とかいう人にはまだ会いもしません。また、手紙は一度も差し上げたこともありません。あちらから手紙をいただいたこともありません。親鸞の手紙を手にしたと言っていることは恐ろしいことであります。
この『唯信抄』の書き方は嘆かわしいものでありますから火に焼きましょう。返すがえす情けなく存じます。この手紙をそちらの人々にお見せになってください。
謹言。
5月29日
親鸞
性信房御返事
なおまた、念仏者たちの信心が揺るぎないものと思ったことは、皆偽りでありました。これほどまでに第18の本願を捨て合っておいでになる人々のお言葉を頼みに思って、この年来過ごしておりましたことは誠に嘆かわしいことであります。この手紙は人の目に触れないように隠さねばならないものではありませんから、よくよく他の人々にお見せください。
『ご消息・第9通』
お説きになったことを詳しく聞いております。何事にもまして哀愍房とか申す人が「京の私から手紙を貰った」とか申しておられるということですが、返すがえすいぶかしく思います。まだお姿を見たこともなく、お手紙も一度としていただいていません。またこちらから申すこともありませんのに、私から手紙を貰ったということです。呆れたことであります。
また慈信房が説く教えの趣はその教義の呼び名さえも知りもしないことなのに、「慈信房一人に夜親鸞が教えたのである」と慈信房が人に申しておられると言って、この京でも常陸や下野の人々は皆親鸞が虚言を申している由を申し合っておられますから、今は親子の情誼はあってはならないことであります。
また、母の尼にも思いも及ばない虚言をいいかけらていることは、言葉の限りではなく呆れて果てたことです。みぶの女房がこちらに参って申すことに、「慈信房がくださった手紙であります」と言って持参した手紙はここに置いてあるはずです。慈信房の手紙ということでこちらにあります。
その手紙の中でいささかも関係がないことのために継母に言い惑わされていると書かれていることは殊に呆れたことです。まだ亡くなってはいないのに「継母が言い惑わした」と言っていることは驚くほど呆れたことであります。またこの世の中に、どうして、あったとも全くわからないことを書いてみぶの女房のもとへも出している手紙のあること、また思いも及ばないほどの虚言を述べていることなど、悲しいことと嘆いています。
本当にこのような偽りを言って六波羅のあたりや鎌倉などに吹聴なさっていることは悲しいことであります。この程度の偽りは、この世のことですからなんとしてもあることでしょうが、しかし、それでさえ偽りを言うことは情けないと思われますのに、まして極楽に生まれるための肝心な大事を言い惑わして、常陸、下野の念仏者を惑わし、親に虚言を言いつけていることは、誠に悲しいことであります。弥陀の第18の本願をば凋んだ花に喩えて、それを聞いて人々が皆本願をお捨てになってしまったと聞きますことは誠に仏の教えを謗る大罪を犯すものであり、また五逆の罪の罪を進んで犯して、人の心を損ない惑わしになることは悲しいことです。殊に信心一つに和らぎ集まっている人たちの仲を破る罪といいますものは、五逆の中の一つであります。また親鸞に虚言を申しつけたことは父を殺すものです。五逆の中の一つであります。
これらのことを伝え聞く、その驚きは言葉の及ぶところではありませんので、今は親であるということはあってはならない、また子と思うことも思い切りました。このことを三宝と神々にキッパリと申し終わりました。悲しいことであります。
私が説く浄土の教えと同じではないと言って、常陸の念仏者すべてを惑わそうとすることを好んでおられると聞くことは悲しいことです。親鸞の教えによって念仏を称える常陸の人々を損なえと慈信房に教えたということが鎌倉に聞こえているようですが、それは本当に呆れたことです。
5月29日
慈信房御返事
同じ年の6月27日に着いたもの
このことを建長8年6月27日に記す
嘉元3年7月27日、これを写し終る(顕智・筆)
![]() (歎異抄・第二条の2) |
このご法語の中で、まず強く印象づけられるのは「親鸞におきては」という自名告(じみょうごう)です。自名告とは自分の名を会話の中や著書の中に名告り告げることで、私どもならばさしずめ「私は」とか「僕は」というところを「親鸞におきては」とか「親鸞が申すむね」というふうに、自分の名前を名告りながら語っておられることです。
これはその当時の人々の習慣であったらしく、法然聖人も法語の中で「十悪の法然房」とか「愚痴の法然房」と言われていますし、日蓮上人にも同じような言葉遣いが見られます。しかし、親鸞聖人ほど頻繁に自名を名告ることはなかったようです。
『教行信証』の中にもしばしば見うけられますが、例えば仏祖のみ教えに遇うことを得た感動を表すのに、
「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな西蕃月氏の聖典、中華日域の師釈に遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くしてすでに聞くことを得たり。」
と、自名をあげてその慶びを語っていかれますし、あるいは自身の煩悩の深さを悲嘆される時にも、
「まことに知んぬ、悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし傷むべし。」
と、自名をあげて懺悔されています。慶びも悲しみも、他人事としてではなく、どこまでも我が身の上にしみじみと受けとめておられる聖人の聞法の姿勢が鮮やかに示されています。
殊に『歎異抄』には8ヶ所にもわたって自名告が出ていますが、いずれもその箇所には聖人独自の深い宗教的心情が吐露されております。「親鸞」という名で自身を表すことのできるのは、この方以外にありません。そういう自名を名告りながら発言すると、他との区別が際立って意識され、その発言内容がハッとするほど強烈に印象づけられ、また発言に強い責任が生じてくるという心理効果が出てきます。
確かに、
「親鸞におきてはただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと善き人の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」
という言葉を聞いていると、自身の全存在をあげて法然聖人のみ教えに従い、その説教を「親鸞一人がため」と受けとめ、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と念仏の一道をひたすらに歩み続ける念仏者親鸞聖人が鮮やかに見えてまいります。
大事な時には、親鸞聖人は必ず「親鸞」と自分の名前を呼ばれます。「私は」とは仰らない。私というのは代名詞ですから誰でも使います。私も私だが、あなたも私です。ここに私が何十人といる。私と言ったら誰でも共通です。親鸞といったら一人しかいない。「親鸞は」と言われる時には、非常に大事なことを責任を持って言おうとされている態度が現れています。ご自身を親鸞という言い方をされるのは、もうのっぴきならない、抜き差しならない、責任を負うべき重大な発言をなさる時です。
『歎異抄』にはご自分で「親鸞におきては」と言っておられる場合が割合に沢山あります。例えば「親鸞は父母の教養のためとて」これは第5章、それから第6章に「親鸞は弟子一人も持たず」、第9章に「親鸞もこの不審ありつるに」。一番最後の章にもう一つ「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」と。親鸞という名告りが何度も出てきます。それは必ず大事な時です。責任を持って言わなければならない時、人と代わることができないような、そういう大事な時に「親鸞」と言われます。
「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」は法然聖人のお言葉です。ここで大事なのは、この「ただ」という言葉です。漢字で表すと「ただ」も色々ありまして、「但」の場合は一つという意味。「只」も「ただ」だが、これには無料という意味もある。「会費なんぼや」「ただや、ロハ」。「ただ」にも色々あります。
ここで「ただ念仏」と言われた「ただ」は「唯」です。この唯という字は信心を表した文字です。だから唯には必ず信ずるという字が着く。親鸞聖人の先輩で、聖人が非常に尊敬しておられた聖覚法印という方がいますが、この聖覚法印が書かれた『唯信抄』というものを親鸞聖人は非常に大事にしておられました。「もしご信心に疑いが起こったら、ぜひ『唯信抄』を読みなさい」と言って、ご自身でこれを写してわざわざ関東へ送っておられる。お手紙には「せっかく『唯信抄』を送ったのに無駄なことだったか、情けないことだ」と仰っています。それ程に大事にしておられたのです。またご自分のいただかれた心を表して『唯信抄文意』というお聖教を作っておられる。これが真宗聖典の中に入っています。
そんなことで、唯という字だけが信と結びつくのです。例えば、『正信偈』には唯という字が6ヵ所に出ています。最初にお釈迦さまのことについて仰っているところに「唯説弥陀本願海」とあります。お釈迦さまがこの世にお出ましになったのは、弥陀の本願を説くためだ、『無量寿経』を説くためにお生まれになったに違いないと親鸞聖人も固く信じておられるので、この唯を使っておられるのです。その次に「唯能常称如来号、応報大悲弘誓恩」。これは龍樹菩薩のところです。曇鸞大師では「正定之因唯信心」とはっきり唯と信が結びついている。道綽禅師のところでには「唯明浄土可通入」。それから源信僧都のところには「極重悪人唯称仏」。最後に結びのところで「唯可信斯高僧説」このように唯が6ヶ所あるのです。『正信偈』というのは真実信心の詩です。だから唯という信を表現した内容でずっと貫かれている。お釈迦さまのところも高僧の説も、お一人お一人の真実信心が唯という字で挙げてある。
ところが、お気づきのように天親菩薩と善導大師のところには唯という字がありません。しかし、よく考えてみると、天親、善導というお二人は親鸞聖人の教学にとって大事な位置を占めておられる。『信の巻』というのは、このお二人でできあがっていると言ってもいいくらいです。信心の問題を掘り下げる時には、天親菩薩と善導大師は非常に大事な人です。天親菩薩には「以度群生彰一心」と一心という言葉がある。善導のところには「慶喜一念相応後」とある。法然のところでは「必以信心以能入」と仰ってある。一心というのは天親菩薩が『浄土論』で自らの信心を明らかにされた言葉です。一念というのはお経の中で信心を明らかにされたお釈迦さまの言葉です。一念の信という信心は、言うまでもなく信心そのものです。だから、大事なところは直接「一心」「一念」「信心」と表してあるのです。そして他の方のところでは信心を唯で表してあるのです。
ただ念仏、唯が信心なのです。唯という字は「亦を簡ぶ」といいまして、亦でないのを唯という。「ただ何々のみ」と、二つを並べない。『唯信抄文意』に「唯はただのこと一つをいう。二つ並べることを嫌う語なり」とあります。二つ並べるというのは、念仏もするのではない。念仏のみ。我々は何でもやるが、念仏もする。仏さまもたのむが、我が身もたのむ。両方ともたのむ。そういうのは二股膏薬であって、それは信心ではない。信心は二つ並べない。仏さまも拝むのではない。「も」と言ったら必ず二つ並べる。「唯」は「ただ何々のみ」です。だから『歎異抄』では、後で「ただ念仏のみぞ真にておわします」と仰っています。これが親鸞聖人の信心を表す言葉です。
『歎異抄』の第3章には「他力をたのみたてまつる悪人」とあります。弥陀をたのむということは、弥陀だけをたのむのであって、やはり唯です。「たのむ」というのは信心のことを言い換えて「たのむ」というわけです。弥陀をたのむということは、弥陀だけをたのむのであって、他をたのまないということでしょう。だから、裏を返せば我が身はたのまないということ。わが心はたのまない。ここが非常に大事なのです。念仏が分かるということは自分の心がいかにたのみ甲斐がないか分かるということだと思います。こんな心みたいなものは当てになりません。
例えば、我々は色んなことを当てにするでしょう。その当てはいつでも外れる。また色々なことを心配するでしょう。けれども、心配もまた外れます。これはうまいこといっているのです。当てが外れて心配だけが当たったらたまったものではない。けれども、そんな殺生なことにはなっていない。当ても外れるけれども、心配も外れる。そして、ちゃんとなるようになっていく、不思議なものです。心というのは本当に信用できない。長年こういう目にあってきて、まだ我が心を信用しているとは、どうかしています。いい加減にやめなければいけない。私の心より世の中の方がよほど確かです。
そんなことで、「弥陀をたのむ」ということは、わが心はたのまないということなのです。その信心の姿を唯という。この唯が非常に大事です。「親鸞におきてはただ念仏して」、「念仏して」と言わずに「ただ念仏して」という、ここが大事なのです。「ただ」というのは法然聖人の言葉なのでしょうけれども、そこには親鸞聖人のご信心が表れている。そこで、
「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、善き人の仰せをかぶりて信ずる外に別の子細なきなり」。
法然聖人が仰った「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」、この道しか私は知りません。他には何もありません。はっきりと念仏以外にないと言い切っておられる。
![]() (歎異抄・第二条の3) |
念仏は実に浄土に生まれる種であるというのが、『大無量寿経』に始まり法然聖人に至るまでの、2000年にわたる仏祖の教説でした。そしてこの仏祖の説かれたお言葉こそ、一点の虚偽も交わらない真実であると信じきっておられるのが親鸞聖人でした。虚偽は人間の側にある、ただ虚妄なき仏語に信順して、我が身の往生を治定と思い定めよというのが聖人の仰せでありました。
しかし、関東の門弟たちは、「念仏すれば必ず浄土に生まれることができる、決して地獄に堕ちることはない」という確信にあふれた聖人の証言を期待して訪ねて来たに違いありません。けれども、その期待に潜む危険性を誰よりもよく知っておられたのが聖人でした。
人間に救いの証言を求めることは、それは如来のみが知ろしめし、なしたまう救済の業であるものを、人間の領域に引き摺り下ろすことになりましょう。また人間の証言によって成立した信念は、同時に、人間の論難によってすぐに揺らいでしまうに違いありません。
人の惑わしを受けない真実の信というものは、ただ仏語によってのみ確立するのです。また救いの証言を行う人は、知らず知らずの内に、自己を救済者の側に置く傲慢の罪を犯すことになりましょう。
法然聖人は、常に「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と仰せられていたと親鸞聖人のお手紙に記されています。ここでいわれる愚者とは、教法の是非を見極める能力もなく、善悪のけじめを知り通す判断力も持たず、まして生死を超える道の真偽を見極めるような智力などのかけらもない、どうしようもない者ということです。親鸞聖人もまた
「善悪の二つ、総じて以って存知せざるなり」
「是非知らぬ/邪正もわかぬこの身なり/小慈小悲もなけれども/名利に人師を好むなり」
あるいは、自身を「愚禿」と名告ってゆかれたのでした。「私は物事の是非の判断もつかず、邪正の見極めもできない愚か者です。小さな慈悲の心さえも起こしきれず、自分の家族さえ救いきれない無力な者であるくせに、名誉欲や財欲といった欲望だけは強くて、指導者面をしたがる恥ずかしい自分です」
「法然聖人の教えに従って専修念仏の道を信じる者は地獄に堕ちると言い脅す人がいますが、本当に念仏をすれば極楽へ往生できるのでしょうか。」
と問いかけられた時、聖人は生死についての人間の根源的な愚かさを知るならば、人間の知識や能力に頼らず、自分の計らいを捨てて、仏陀のお言葉を素直に受け入れることこそ、私どもの正しい態度であると示されたのでありましょう。それを真実信心というのであり、自らの根源的な無知に気づいて、本願の仰せを計らいなく受け入れるべきことを教えられたものでした。それゆえに、
「念仏が本当に浄土に生まれる種であるのか、地獄に堕ちる業であるのか、私は全く知りません。」
「それを確かめる能力も知力も備えていないのがこの私です。こんな愚かな私のために、如来は本願を立て、我れにまかせて念仏せよと仰せられていると承り、その慈愛あふれる仰せに身をゆだねて念仏しているばかりです。」
と言わずにおれなかったのが親鸞聖人なのです。
我々はお浄土参りの種になるなら念仏し、地獄行きの業になるなら止めたと思っている。それで念仏が解らないのです。「善き人の仰せをこうむって信ずる外に何もない」と言われますが、それではいったいどういうふうに信じているかということが次に出ている。「たとえ法然聖人に騙されて念仏して地獄に堕ちたとしても、決して後悔はいたしません。」こういう信頼の仕方です。
ところが、疑っている自分が分ってくると、「騙されてもいい」と。騙されてもいいと仰る親鸞聖人のお言葉が、ああこれが本当の信頼だと解る。いかに自分が人を疑っていたかということが段々解ってきます。本当の信頼はこれだと解る。騙されてもいいという、これが本当の信頼です。非常に深い信頼ですね。
では、いったいそういう信頼がどこから生まれてきたのか。人間からはこういうものは出てきません。何かがはっきりとしているから、こういうお言葉が出てくるのでしょう。結局自分がはっきりしなければ、念仏は解りません。親鸞聖人は『正信偈』を作るに際して、仏のご恩を報謝する。感謝し、かつ報いる。そのために『正信偈』を作ったと言っておられるのですが、この「仏恩の深遠なるを信知し」たということは、どういうことなのでしょうか。仏のご恩が深く、かつ遠いということはどういうことなのでしょうか。
我々は、仏のご恩が深く遠いというと、「仏のご恩はそんなものかなあ」と思うだけで、これは何時までたってもはっきりしません。深いと思えば深いし、そう深くないと思えば深くないし。身に覚えがないですから、身に覚えのないことをいくら深いの、遠いのと言ってみても、それはただ言っているだけです。そう思っているだけです。そんなものは、人に何か言われたら途端にグラグラする。そう思っているのでしょうが、自分で勝手にそう思い込んでいるだけですから、ひとたまりもない。仏のご恩が深く遠いということは、自分の罪が深く遠いということが解るということなのです。それ以外にありません。
「ここまで自分の罪が、迷いが深かったか。ようこそ知らせてくださった。」
と。これが仏が私を深く遠く見抜かれたということです。それが仏のご恩の深く遠いということです。ようこそそこまで見抜いてくださったということが、深遠なる仏恩なのです、自分の罪の深さを思い知らされる、それによって仏のご恩の深く遠いということが解るのです。
そういうわけで親鸞聖人は、自分は地獄へ堕ちてもかまわないから念仏するんだ、たとえ法然聖人に騙されてもいい、私は念仏する以外にはないんだと仰るのは、自分という者の罪の深さ、迷いの深さを、念仏を通して思い知らされたからです。それがないと、仏は解りません。だから、自分の罪の深さが解っただけ、仏の心の深さが解るのです。自分の迷いの心、罪の深さが浅いと思っている人には、仏心というものも浅いのでしょう。
「何れの行も及び難き」というと、何か誤解して、無力というように受け取る人が多い。「何もできません」ということなら、それは無力ということですが、そんな生易しいことでしょうか。仏教で行といったら、いわゆる悪を廃して善を修する、廃悪修善です。これしかない。極めて議論の余地もがないくらいはっきりしている。
「悪性さらに止め難し/心は蛇蝎の如くなり/修善も雑毒なる故に/虚仮の行とぞ名づけたる」
と、悪を廃するということについて「悪性さらに止め難し/心は蛇蝎の如くなり」と、そして修善の方は「修善も雑毒なる故に/虚仮の行とぞ名づけたる」と言っておられる。悪を止めなければならないと言うけれど、止めなければならないという心ぐらいで止まるものではない。「さらに」というのは、止めよう止めようと努力しておられるから余計に「さらに」という言葉が出てくるのです。どうしても止まない。止まないのだから止めなくてもいいと言うわけではないのです。やはり親鸞聖人も止めなければならないということは解っているのです。知ってはいるし、またそう思っているが止められないと言われるのです。
煩悩には、貪欲、瞋恚、愚痴、高慢、我慢、あるいは憤とか恨とか悩とか、色々な名前がついています。名前がついているような煩悩はまあまあ素直というか、割合ましというか、あっさりしたものなのです。ところが、名前もつかないような煩悩がある。自分でもゾッとするような煩悩がある。これには自分で気づくより手はないのです。相手に言ったら、相手がビックリして側に寄ってくれないというような煩悩が時々起こる。親鸞聖人はそれに気づいておられる。これは名前などつけられない。蛇とも蠍とも、譬えでしか言えない煩悩が起こる。もしその人に言ったら、恐らく二度と側へ寄ってくれない、それくらの煩悩が時々起こる。そういうことに対する深い懺悔を「心は蛇蝎の如くなり」と言われた。
たまにする善がまた、雑毒でしかない。「わしが」という根性が入っている。認めてもらいたい、誉めてもらいたい、お返しが欲しいという奴がある。凡夫というのは、悪いことばかりしているわけではない、たまに良いこともする。「俺は悪いことしかしないのだ」というような人は凡夫ではありません。それが非凡です。凡夫というのは、悪にも耐えられない。弱いから気が咎める。だから、少しくらいは善いことをする。しかし、たまにした善にちゃんと妙なものが引っかかっている。相手に認めてもらいたい、お返しが欲しい、礼を言ってもらいたい、感謝して欲しい。そういう根性が混じっている。だから、せっかくの善が善にならない。
その証拠に、せっかく善いことをしておきながら、後で腹が立つ。「別に礼を言ってもらおうとしたわけではないけれど」と言う人がいます。礼を言ってくれないので怒っている。それなら、別に怒らなくてもいいじゃないか。善をやって苦しむ。こんな割に合わないことはない。善をしたら楽にならなければならないのに、善をして苦しむ。何故苦しむのか、雑毒だからです。これだけははっきりしておきたい。
こういうわけで親鸞聖人は「いずれの行も及び難き身」とはっきり仰っている。廃悪修善が成り立たない、そういう自分というものを本当に知っておられるところから、念仏以外にないんだという固い確信が生まれてきているのです。
自余の行というのはお念仏以外の行です。お念仏以外の行を一生懸命やって仏になることのできる身、そういう見込みのある自分であるならば、念仏を申して地獄へ堕ちた時に、「ああ、要らんことをした」という後悔もあるだろう。騙されたという後悔もあるだろうというのです。
仏さまは何にも注文がない。仏は我々に夢を見ないのです。注文してもしょうがないと、仏はちゃんと夢から醒めている。仏は人間に対して、親が子どもに夢を見るような、そんな夢は見ないで見通されている。「とても地獄は一定棲処ぞかし」というのは、仏が見抜いているのです。
私の長女は名古屋に嫁に行きましたが、あの子が嫁に行く時に一言だけ言うてやったのです。
「わしはお前に何も言うことはないけれども、一言だけ言うておく。どうせわしみたいなろくでもない者の娘だから、お前もろくでもないんだ。それだけは忘れるな」。
と。そのことだけはっきり言って聞かせたのです。
「だから、どんなに一生懸命やっても、ろくでもない奴がやるのだから、どうせろくなことはできないだろう。だから、ヒョッとしたら、嫁ぎ先の気に入らんかもしれんが、その時は、申し訳ありませんでしたと謝って、帰ってこい。何ぼうでも家に入れてやる。」
と。ろくでもない娘の始末は親がしなければならない。私はその覚悟を決めて娘に言って聞かせてやったけれど、いまだに戻ってきません。
結局、自分が決まってこなければ何も決まってこない。自分さえ決まったら、何もかも決まってくるのです。状況の変化によって優越感を持ったり劣等感を持ったり、上がったり下がったり、温もってみたり冷えてみたりする。これは自分がはっきりしないからです。自分がはっきりすると自信を持ってきます。自分のできることと、できないこととがはっきりします。自分に夢を持っている人間は、自分にできないことを、できるように思って喜んでいるのです。我が身が信じられる、自分が偉いから信じられるというのではありません。偉くならなくてもいい、掛け値のない自分が解ると、そこに自分には自分のできることがあるということが解る。そして状況の変化にウロウロしなくて済む。自分に見極めをつけると、自分がとんでもない奴だったということが解る。悩みの深い人間だと解ると、そこにまた、自分のできることが見つかってくる。
ところが、念仏を知らない人間は謙譲がない。「わしもまんざら、これで捨てたもんではない」などというのは、自信にならない。これは自惚れです。自信と自惚れとは違います。謙譲な者にはじめて自信は生まれるのです。自惚れというものは高慢さからくるのです。「わしはあんな奴とはちょっと違う」という、「あんな奴とは」と見下すところから自惚れはくるのです。自信はそうじゃない。自信というのは、状況がどんなに変わってもぐらつかないのが自信です。本当の自信は煩悩具足と信知したところから、我が身の心を悪さを知ったところから湧いてくるのです。自分というものを徹底的に見極めたところから自信は出てくるのです。
「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定棲処ぞかし」。こういう自信、ここから来る自信です。これ以上落ちてみようがない。屋根の上から落ちたにしても、地面より下へ落ちた人はいない。いくら落ちても地面までです。「地獄は一定棲処ぞかし」というところまで落ちたら、後はもう上がるだけです。自分ということを本当に思い知らされたところから、脈々たる念仏に対する自信と非常に深い法然聖人に対する信頼が生まれてきているのです。
「弥陀の本願まことに座しまさば」と、弥陀の本願から始まる。これは非常に大事です。普通は、仏教ではお釈迦さまが仰っているから、お経にこう書いてあるからと、そこから始まることが多いのです。しかし、お釈迦さまが仰ったからといって、どうして信じられるか。お釈迦さまが言ったからと言って、3000年前のインドの人が言ったことをどうして信じられますか。まあ、偉い人だったには違いないでしょうけれどもね。
ヒンズー教徒あろうとイスラム教徒であろうと、インド人はお釈迦さまを尊敬しているようです。「インドに仏陀が生まれたことは我々の誇りです」と、お釈迦さまの偉いことを皆が認めている。だからといって、偉い人の仰ったことが本当だというわけにはいきません。その証拠に、ヒンズー教徒はお釈迦さまを祀ってはいるけれども、お釈迦さまの言われたことは信用していません。お経も読みません。してみると、お釈迦さまが仰ったからというところから始めても、真実であることの証明にはなりません。偉い人の言われたことだから間違いないというわけにはいかないのです。
念仏の道が真実であるからこそ、お釈迦さまがこれを説かれたのです。その念仏の道が本当だというのは、親鸞聖人の体験です。身をもってそれを知らされたところからくるのです。だからこの「弥陀の本願まことに座しまさば」というのは、親鸞聖人が本願に遇われたことによって、本願の確かなことを明らかにされた。そのように自分が遇われたことを出しておられるのです。自分が本願に遇って本願に助かった。「わしのような者が助かったのだから、これこそ実の道だ。だから皆が助かるのは当然だ」と仰るわけです。こういう点が大事だと思います。
『観無量寿経』というお経は韋提希が牢獄の中でお釈迦さまからお念仏の教えを聞いて助かったという記録なのです。それなら、五逆罪を犯した阿闍世はどうなったのかというと、これは『涅槃経』に出てまいります。阿闍世はやがて親殺しの報いのためにひどい病気にかかるのです。阿闍世が熱病に罹った時、母親の韋提希は非常に心配して薬を阿闍世の身体に塗ってやります。お経にそう書いてある。この辺の描写は『涅槃経』では非常に詳しいのです。塗ってやりますが阿闍世は「もうやめてください。私の病気は薬では治りません。この私の病気は心から起こったのであって、身から出た病気ではありませんから薬は間に合いません。どうかやめてください」と言う。えらいことをやったという慚愧、悔恨の念に迫られて、そのために余計苦しむのです。身が苦しむのと心が苦しむのとで、寝床の上で七転八倒というような状態になる。
その阿闍世が救われているのです。救われてから、阿闍世は「私のような者でも仏法で助かるのだから、この仏法はいかなる人間をも必ず救うに違いない」というようなことを確信をもって述べております。
『涅槃経』では助かって行く過程を事細かに描き出してあります。耆婆が阿闍世の病室に入ってくると、
「大王、安眠を得るや否や」。
と、こう言った。言い方が違うのです。他の6人の大臣はそ知らぬ顔をして、
「王さま、お顔の色が悪いようですが、どうなさったのですか」。
と言った。どうなさったも、こうなさったもない。親殺しをやった報いがきているのだということを知っている。知っているのだけれども、大臣たちは阿闍世の心の咎を消そうとして、わざと知らん顔をして入ってきた。ところが、耆婆はちゃんと認めているのです。だから「王さま、安眠ができますか」と言う。ここ言葉の裏には「あなたは大変なことをなさった。だから恐らく心苦しめられて、おちおち寝てもおられんでしょう」という、阿闍世に対する深い思いやりがある。阿闍世が苦しんでいるのを見抜いての言葉です。
『涅槃経』では、ここのところは「大王得安眠不」となっています。これは漢文の読み方をすれば「大王、安眠を得るや否や」と読むのでしょうが、親鸞聖人はこれを「大王、いずくんぞ眠ることを得んや否や」と読まれた。「大王、安眠を得るや否や」なら、解り易く言えば「王さま、ぐっすりと眠れますか」ということ。「大王、いずくんぞ眠ることを得んや否や」と言ったら、「王さま、まさか寝てはおられんでしょう。どうなんですか」となります。こう読むと耆婆が阿闍世を非常に厳しく責めていることになる。親鸞聖人は言葉に表れたもっと深いところに動いている耆婆の心を読み取っておられるわけです。こういうのが本当に物を読んだということなのでしょう。
そこで阿闍世は、
「耆婆よ、私は重病なのだ。私は罪もない父を殺してしまった。大変なことをしてしまった。どうしてゆっくり寝ておられようか。それで苦しんでいるのだ」。
と言う。それに応えて耆婆は、「善いかな、善いかな大王」と、こう言うのです。他の大臣たちは「そんなことは忘れなさい」と言ったのですが、この人だけは、「けっこうなことです」と言った。ここが大きな違いです。「よいことに気がつかれた。あなたは親殺しというとんでもないことをなさったが、今あなたの心に、とんでもないことをしたという罪に対する傷みを持っておられる。慚愧の心が起こっている。よくそこへ気がつかれた」と、慚愧の心を「よいかな」と誉めた。父王を殺したことを「いい」とは言っていません。とんでもないことをしでかしたということに、今、阿闍世は気がついている。そのことが大事なのです。それで続けてこう言う。
「大王、諸仏世尊、常にこの言を説きたまわく、二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慚、二つには愧なり。慚は自ら罪を造らず、愧は他を教えてなさしめず。慚は内に自ら羞恥す、愧は発露して人に向かう。慚は人に羞ず、愧は天に羞ず。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす」。
なるほどそうです。イヌやネコに慚愧はない。人間だけが恥ずかしいということを知っている。これが人間を救うのです。これがなかったら人間ではない。これがなかったら永遠に助からないのです。「わしはこれでいいのだ、わしは何も仏さまに参らんならんほど悪いことはしておらん。警察からも引っ張られたことはない」などと言っている人は、宗教とは無縁の人です。自分の言ったり思ったりしていることが、何か苦になってくるというところに、宗教の道を開く大きなカギがある。
慚愧はまだ宗教ではありません。宗教の門を開くだけです。慚愧はまだ宗教ではないが、懺悔までくると宗教です。慚愧は心。懺悔は行、自己否定の行です。浄土真宗でいうと南無、我が身に頭が下がったということ。慚愧はえらいことをしでかしたという心です。この懺悔が宗教の門を開く。
そこで耆婆はお釈迦さまを紹介するのです。この真実のある耆婆の心に動かされて阿闍世は慚愧するわけです。慚愧心というものが人間を仏の前に連れて行く。耆婆の前ではまだ慚愧しかできない。懺悔は仏の前で初めてなされた。慚愧というのは、大変なことをやってしまったという心でしょう。大変なことをやったということは、別の言い方をすれば、やらなければよかったということです。やらなければよかったということは、やらずに済ますこともできたと、まだ思っているのです。色々のことで、やらなくても済んだかもしれないというものがまだある。つまり、自分に見込みをつけているのです。懺悔はそうではない。やれば、ろくなことをやれない自分であったと。自己の存在全体が罪なのだ。生きていること、そのことが罪だ。頭の先から足の先まで罪だと、そういう自覚が懺悔なのです。何かをやったことが罪なのではない。何かをやったことは、その罪から出てくる、そういう自覚です。そこに至って彼は助かっていった。初めて救われた。何かスカッとしたものが出てきたのでしょう。
「私にこんな心が発るはずがない」と、お釈迦さまの前でこう言っています。そして「この法に遇ったらいかなる者も救われる。何故なら私のような者さえも救われたのだから。この法をもって人を救うために、私は無量劫において地獄へ堕ちても後悔しません」と言い切っているのです。地獄を恐れて怯えていた阿闍世が、「この法においては誰もしも救われる、そのために私は地獄へ堕ちても後悔しません」と引き受けた。それをお釈迦さまが非常に誉められるわけです。
親鸞聖人もそうです。自分のような者が本願において助かったのだから、本願はいかなる者をも救うに違いない。だからお釈迦さまがこのことをお説きになたのだと仰っておられる。
なぜ信じるかということについて親鸞は二つのことを述べています。一つは法然の教えを受けたからだということで、法然への個人的な傾倒ですね。これが一つ。二つ目は、他の行では往生できない悪人なんだという、自分は。悪人とはそういうものですね。他の行では往生できない悪人という自覚なんです。この二つは分けはしましたけれども、結びついているんですね、切り離せない関係にあります。それは法然との出逢いがそういうものであったからです。
人間には、自分がやろうとしていることに関して、それが間違っていることか正しいことか判らないわけです、客観的には。一つの宗教に入る、あるいは政治運動をやる、あるいは一つの党に入って活動をやる。あるいはその外の何かやる。何をしてもね、それが本当に正しいかどうか判らないわけです。しかし、それが本当に正しいかどうかを突き止めることのできる人は、やっぱりそれを本気でやっている人だと思います。いい加減にやっていたのでは、それが間違っているということさえ気がつかない。本気でそれをやってみてはじめてそれは間違っていたことに気がつくかもしれない。
親鸞は、この頃29歳ですね。9歳くらいからだとしても、20年かかって間違っていたことに気がつくわけですね。これは大変な人生ですね。しかし、20年かかっても、そういう修行というのが間違っていたのに気がつく。人間、29歳になって、今までの自分のやっていたことを全部間違っていたと言える人というのは中々いないですよ。やっぱり親鸞の大きさが感じられます。そして、一切、29歳までやっていたことを全部捨てる。これができるというのは大変なことですね。それは、本当にそれができるかどうか、まずやってみなければそれが判らないということがあるわけで、だから、間違ったことでも、本気で一生懸命やっている人というのは可能性があるわけです。それは、もしそれが間違っているなら、その間違いに気づく人はそういう人なんです。こんなもの、どうせ間違っているかどうか判らんから、適当にやっておこうと言っている人は、間違いにも気づかないし、正しいことにも気づかないということになると思います。
親鸞はやっぱりそういう生き方なんです。で、とことん彼は何かに追い詰められて、本当の人間の救いは一体どこにあるんだろうか、何なんだろうかというようなことが、ここでは考えられていたと思います。
生命は永遠です。ずっと生まれ変わり生まれ変わり、今の世まできているんだというわけなんです。そして、今の世で我々が人間に生まれてあるのは、まだ人間であり仏になっていないというのは、これまで何度も生まれ変わって生まれ変わってくる間に、正しい教えに触れなかったから未だ人間でいるんだと。それで、この世で初めて正しい教えを知ったので、次は人間じゃなくて仏に生まれる。これが往生です。
自分は前世から永久に迷い続けてここへ来たんだと。そしてここへ来て、ここでも煩悩から抜け出せないから、だから次はまた地獄だ。ところが、念仏したら救われると言っている。これしか自分が救われる道はない。他の行はしてきたけれども全部駄目だ。煩悩を断ち切るなど、これは絶対にできないという、その追い詰められた中で法然に逢ったということですから、半分は、法然というのは自分なんですよ、親鸞にとってはね。最後の到達点であったということが言えます。
法然との出逢いそのものは、親鸞が他の行に絶望した果てに出逢ったという、そういう存在だったわけです。この人なら地獄に堕ちてもかまわん。この人に従って行った結果、たとえ地獄に堕ちてもかまわんと。これは人間関係の極まりですね。やっぱり生きる一番大事なものを見つけ出したということだと思います。そういう関係だったのですね、法然との関係は。
しかし、そういう人間関係の素晴らしさということだけに限ってはいけないと思うんです。それともう一つ、親鸞自身がやってやってやり尽くして駄目だったという、そういう体験をもう一つ持っていた。この二つが重なっているという、この両面から見なければならないですね。
さて、「この上は、念仏を採りて信じ奉らんとも、また捨てんとも、面々の御計らいなり」。非常に突き放した言い方ですね。念仏を信じるか捨てるかは、貴方がたの勝手だ。私はただそれしかないから信じているだけだというわけです。言葉の上では非常に突き放していながら、しかし、親鸞はここで大事な話をしています。それは、自分はあれにしようか、これにしようかと思って念仏を選んだのではない。他の行は全部できないんだと。念仏しかできないんだと。だから念仏しているんだと。「それで往生できる」と法然聖人は仰った、私は偏にそれを信じている。だからそれ以上何も言うことはないと、こういうことですね。
わざわざ訪ねてきた人に対して、念仏を信じようが捨てようが、どっちでもしてくれと言うわけです。投げ出しているというより、最後はもうそれしか言葉がないわけですね。そういう信心というものの一番大事な本質といいますか、信心というものがどんなものであるかということがよく表れていると思います。
親鸞は、結局ここで、本当に人間は救われるべき存在であり、それの唯一の道は念仏、そして信心であると。念仏して浄土に生まれようという心が発った時、もうその人は救われるべき存在になるんだと。かけがえのない大切な一人の人間として生きていけるんだという、そういうことに関しては、もはや証明はい要らない。それは信じる以外にはないということが強調されているからじゃないかと思います。
だから、わざわざ十何箇国かの境を越えてやってきた人々を、親鸞は喜んでいないと、ここでは読み取るべきだと思います。そんなことはする必要はなかったのだと。それはむしろ不信を持っているからなんだ。だから聞きに来ても、この親鸞は何もよく教えられないということです。
親鸞聖人に何か聞きに行こうと考える人、生活があって、往復80日もつぶして、そういうことのできる人っていうのは、そう滅多にいません。そういう人々が親鸞の基盤であって、わざわざ訪ねてきた人を誉めるというようなことをしない。この辺は非常に教育者として注意深いと思います。何か一生懸命やった人を誉めるのはいいんですけれども、それを誉めるという事は、逆のいい方をすれば、それをしなかった人は駄目だということになるんです。だから、決して親鸞は十余箇国の境を越えて身命を顧みずやってきた門弟たちを必ずしも誉めていない。これは非常に大事なことだと思います。それは、やはりそういうことをせずに生きている人々、その人こそが親鸞の地盤であるということの表れだと思います。だから、これは決して冷たいことでも何でもない、これが親鸞の信念だというふうに思います。