阿弥陀経の十六羅漢と釈迦十大弟子

阿弥陀経の十六羅漢

ナンダ(難陀)
ナンダ(難陀)はカピラヴァットゥのスッドーダナ王(浄飯王)と義母マハーパジャーパティ(摩訶波闇波提)との間に生れた人であるから、仏陀の異母兄弟に当たる。彼は生来容姿端正で仏陀とよく似ていた。彼が仏陀と同じ丈の衣を着ていると、一緒に暮らしている修行僧たちも仏陀と見間違えることがあったという。
          
仏陀が故郷カピラヴァットゥに帰って2日目、城内ではナンダの王子即位式、新殿入初めの式、ナンダとジャナパダカリヤーニーとの結婚式が行われた。その時、異母兄弟のナンダを出家させようと思っていた仏陀は式場に入り、ナンダへ祝いの歌を唱えてから、手に持っていた鉢を彼に渡し立ち去った。その鉢を手に持ったまま、ナンダは宮殿を出て行く仏陀の後を追った。それを見た新妻ジャナパダカリヤーニーは、「王子さま、直ぐお帰りくださいますように」と叫んだ。だが、ナンダは「私は出家したくはございません。鉢はお返しいたします」と言うことができないまま、遂に仏陀の滞在している精舎まで来てしまった。こうして、仏陀は、ためらっているナンダの髪を剃らせ出家させた。出家してからのナンダは、仏陀に教えられた通りの修行を始めたが、心は少しも安らかとならず、新妻を思って悩む日々が続いた。
この有り様を見た仏陀は、神通力によってナンダをヒマーラヤ山に連れて行った。途中に燃えている田畑があり、その中に据わっている雌ザルが見えた。次に仏陀は、ナンダを三十三天に連れて行き、神々の王である帝釈天の座に腰を降ろした。すると、帝釈天は多くの神々を従えてそこに来て、仏陀を礼拝し、片隅に座った。帝釈天に従って来た500人の美しい天女も仏陀を礼拝した後、側に座った。そこで仏陀はナンダに向かって言った。
「ナンダよ、あの美しい天女たちを見たか。お前の妻となるはずであった女性と、これ等の天女たちと、どちらが美しいと思うか」
「仏陀よ、それは比べ物になりません。先ほど、途中で見た雌ザルと彼女が百倍も千倍も違うのと同じように、彼女と天女は違います」
「ナンダよ、お前はどちらを選ぶか」
「仏陀よ、私はもちろん天女を選びます。ところで仏陀よ、どうしたらあの美しい天女を得ることができるのですか」
「ナンダよ、しっかりと修行を積めば、きっとあの天女を得ることができるであろう」
これを聞いたナンダは躍り上がって喜び、一心に修行することを誓った。
このようにして仏陀に連れられて祇園精舎に帰ったナンダは、まるで人が変わったかのように熱心に修行に励んだ。ナンダが天女を得ようとして修行をしていることが知れ渡ると、「煩悩を断ち切るための修行であるはずなのに、天女を得ること、即ち煩悩のために修行をしていることになるではないか」と忠告する長老もあり、ナンダ自身、その修業が進むに連れてその意味が良く分かってきて、専心に修行を続けた結果、遂に真の悟りに到達したのであった。仏陀は、妻や天女への思いを断ち切って悟りを開いたナンダを讃えて、仏弟子の中で、見たり聞いたりするための感覚器官を制御したという点ではナンダを第一とすると、大勢の比丘たちの前で語ったという。
          
仏陀の異母弟ナンダは仏陀に似ていて力強く、端正な顔貌をしていた。カピラヴァットゥの宮殿で結婚式を挙げている最中に仏陀によって出家させられたが、新妻に対する思いは募るばかりであった。仏陀の説法に耳を傾け、長老たちに従って足を組み精神を集中しようとしても、心に浮かんでくるのはカピラヴァットゥ城での楽しかったシーンや新妻の面影ばかりであった。
ある日のこと、ナンダは平らな石の上や板に密かに新妻の姿を描いてじっと見詰めた。見ている内に彼女の姿や香りまでも感じられる気がして、自分の描いた絵を見詰めたまま、一日中何もしないで過ぎてしまった。幾人かの比丘がこれを見て仏陀に告げ、仏陀はナンダだけではなく、全ての比丘たちに対して、女性の像を描いて見ることをしてはいけないと説いた。しかし、ナンダの妻への思いは益々募るばかりであった。たまたま精舎の留守を預かる当番に当たった時、ナンダは「もうすぐ仏陀が村に托鉢に出かける時間だ。その間に今日こそは家に帰って新妻に一目会って来よう」と思った。このことを知った仏陀は、ナンダを呼んで言った。
「ナンダよ、それほど家に帰りたいのなら、帰っても良い。ただし、長老たちの部屋の扉を全部閉め切ってからにしなさい。一つでも開いていればその部屋の長老がお前を引き止めるだろうから」。
仏陀が托鉢に出かけた後、ナンダは仏陀の部屋の扉が開いていたので、それを閉めると、サーリープッタの部屋の扉が開いた。それを閉めるとモッガラーナの部屋の扉が開いた。その扉をしめるとマハーカッサパの部屋の扉が開くという具合で、マハーカッチャーヤナ、ウルヴェーラ・ナディーガヤーのカッサパ三兄弟、ウパーリなど、長老たちの扉を閉めようとしたが、一つを閉めると一つが開いた。
疲れ果てたナンダは、「仏陀が托鉢から帰ってこない間に家に帰ってしまおう」と思い、ニグローダの林の中から出ようとした。そのことを知った仏陀は、そこに姿を現わし、次のような詩句を説いた。
    迷いの林を出ても
    また入るのは迷いの林
    汝、このような人を見よ
    迷いの心の束縛を離れて
    また束縛されていることを
元々優れた素質を持っていたナンダは、仏陀のこのような声を聞くと、ハッと目覚め、愛着の思いを振り捨てて修行に励んだ。しかし、彼の新妻への思いはどうしても消えず、彼が仏陀によって本当に心の眼を開かれるのは、さらに後のことである。やっとの思いで愛着の心を振り切って悟りに達したナンダを、仏陀は「私の弟子たちの中で、感覚による喜びや執着を自由に制御できるということにかけては、ナンダを第一とする」と讃えた。
          
仏陀はジャナパダカリヤーニーとの結婚式の最中に式場に現れ、ナンダを連れ出して出家をさせたということであるが、このような一見したところでは強引とも思えることを、なぜ仏陀が行ったのか。仏陀は自身が太子の頃結婚し、その中から出家を決意して実行したことの困難さを考えれば、今結婚式が終了しないうちに出家させる方が、ナンダのために良いとでも考えたのであろうか。しかし、結果としては、式の途中で出家させられたナンダの修行の方が困難であったようである。彼の耳には、仏陀の後を追って宮殿を出る時、ジャナパダカリヤーニーが窓から身を乗り出して「早く帰って来て」と叫んだ声がいつも聞こえていたに違いない。
仏陀は、そのような異母兄弟ナンダを愛おしく思い、ナンダの愛する者への一途な思いを煩悩だと決め付けることをしなかったのであろう。愛着の心が振り切れないのなら、いっそ愛着を徹底させ、その愛着の本質をナンダ自身に見極めさせてあげよう。三十三天に登ってナンダに天女を見せた仏陀は、恐らくこのように考えたのであろう。
          
釈迦族の青年が次々に出家していく中で、仏陀が異母兄弟ナンダの出家を望んだのは当然である。ナンダ自身、王位に就いて政治を行うことに興味を感じながらも、仏陀の異母兄弟としての立場から、仏教教団に入って教主である仏陀を助けなければと思いつつ、決断がつきかねていたところを、言わば強制的ともいえる仕方で出家させられてしまったと言う方が良いかもしれない。
それにしても、ナンダほど愛する者への思いをあからさまに表明した人は外にいなかったのではないか。彼は板切れに妻の似顔を描いて一日中見詰めている内に、遂に我慢できなくなって、仏陀が托鉢に出ているのを良いことに、妻の元に逃げ帰ろうとしたりする。そんなナンダの思いを誰よりも分かっていたのは仏陀であったと思われる。仏陀は、愛着の思いが断ち切れないナンダを、実の弟として愛おしく思ったに違いない。ナンダの人並み優れて情の深い性格は得難いものだ。だがその愛着の心を乗り越えることが、真の愛情(慈悲)を発見するための出発点なのだと仏陀は考えたのであろう。だから仏陀は新妻への愛着を断ち切れずにいるナンダを決して批判したり、叱ったりすることなく、彼を天上に連れて行って美しい天女の姿を見せ、ナンダが情の深さの故に天女の美しさに感動したのを機に、彼を真実の道に引き入れようとしたのである。
ナンダが必死の思いで愛着の心を振り切った時、仏陀は「汝こそ、私の弟子たちの中で感覚の喜びや執着を自由に制御できることにかけては第一人者である」と褒め讃えた。仏陀の心を考えれば、これは、愛する異母兄弟に対する労わりの言葉のように思える。(菅沼晃)