(桐渓順忍和上のお話)
七高僧の第一祖、龍樹菩薩の梵名はナーガールジュナといわれ、その出生年代には九つの異説があって、仏滅100年説から900年説までありますが、近頃は仏滅700年頃(西暦200年頃)に活動した人だという説が多く用いられております。
南印度のバラモンの家に生れ、子どもの時から優れた才能を持ち、青年時代に親友の惨死を見て仏門に帰したと伝えられております。初めは小乗仏教を学んだが、心に満たないものがあり、後、雪山に入り老比丘について大乗を学び、仏教の深い道理を究め、大いに大乗仏教を説いたので、大乗仏教の最初の祖といわれております。
「中観の思想」「無の思想」によって外道や小乗仏教の邪見を破して、大いに大乗仏教の真意を発揮されたので、大乗教の多くの宗派では「祖師」と仰いでおり、日本では「八宗の祖師」といわれております。実際には三論宗、華厳宗、天台宗、真言宗、禅宗、浄土真宗、日蓮宗の七宗で祖師としており、「八宗」というのは、日本では仏教の異名として用いておりますから「八宗の祖師」ということは、「仏教各宗の祖師」という意味に理解すべきでありましょう。
その著述も、昔から「千部の論主」といわれて、千部あったといわれておりますが、これも、 「多くの著述のある方」という意味に理解すべきであります。特に浄土真宗に関係の深い著述は『十住毘婆沙論』十七巻、『十二礼』一巻で、『智度論』と共に大切なものだとされております。
(桐渓順忍和上のお話)
龍樹菩薩の教えは《空の思想》《中観の思想》といわれ、大乗仏教の根本となるものでありまして、難解なものであります。「空」「無」ということは、 「何もない」ということではなくて、人間がこうだ、ああだと執着すべきものではないという意味であります。例えば、
「この書物はあるのか。」
「いや、あるんじゃない。」
「では、ないのか。」
「ないのでもない。」
「どちらだ。」
「どちらでもない。」
「どちらでもないものか。」
「どちらでもないのもではない。」
「では、あるとか、ないとか言えないものか。」
「いや、言えないものではない。」
「こうだ、ああだと決めさせないこと。」
であります。
それは、「ない」と思ったら、そこには「非存在」という、ものの存在に執われておるから「所有得の邪見」だといいます。この否定の方向を強く受けたのが三論宗でありますが、龍樹菩薩の思想は、そうした「でもない、でもない」という三論宗のいうような否定的なものだけではなく、執着さえなければ、
「あるがまま、ありのまま。」
という肯定的な意味もあるのであります。
「花は紅、柳は緑。」
であり、
「花は咲くさく成仏、紅葉は散るちる成仏。」
と、咲くも成仏、散るも成仏、「諸方は悉く実相」であり、「一切のものは、あるがままで実相真如である」といってよい訳であります。この立場から天台宗や真言宗や華厳宗の教義の立場が出てくるのであり、それで、これらの宗派でも龍樹菩薩を第一祖師というのであります。
龍樹菩薩の思想には、このように否定の面と肯定の面とがあって、多くの大乗仏教の思想の基礎になっているのであります。だから大乗においては《無我》といっても、「我がないのだ」と簡単に決めてはいけません。「我と執われるべきものがない」と言う意味で、あくまでも執着をなくしようとしたもので、「なんにもない」ということとは区別して考えるべきであります。
こうした思想によって、小乗の誤りを痛烈に批判された龍樹菩薩が、その晩年に到って『十住毘婆沙論』を作り、阿弥陀如来の易行を勧めたもうたのには、深く考えなければならないものがあります。
(桐渓順忍和上のお話)
仏教を難行道と易行道に分判したのは、龍樹菩薩の大きな功績であって、これが曇鸞大師の「自力他力判」となり、道綽禅師の「聖道浄土二門判」となって、法然上人の浄土教開宗の源となったものでありますから、浄土教としては肝要なものであり、親鸞聖人が相承の第一祖と仰がれたのは、教義的にこの《二道判》が大きな理由であったと見るべきでありましょう。
難行道と易行道のことは『易行品』において詳しく述べられておられます。
仏道修行者が不退の位に至る方法は、色々な多くの行と、長い間の修行を積まなければならない。それも、途中で小乗に堕する恐れがある。
「何とか、平易な方法で速く不退の位に行く方法がないか。」
と問うのに対して、龍樹菩薩は、
「そんなことをいうのは、気の弱い意気地なしで、大きい志のある者ではない。」
と叱っておきながら、しかし、どうしても易行の道を知りたいのなら、
「仏法には無量の修行方法があり、あるいは陸路の歩行のように困難な方法もあるが、また水道の乗船のように、信ずるだけで不退転の位に至る平 易な方法もある。」
と言うて、易行道を説かれております。
しかも、一応は叱っておきながら、菩薩自身は非常に熱心にその易行道を説き、十仏の易行、阿弥陀仏の易行など詳しく示されております。
しかしこの難行易行の批判は、一応文字通り理解すれば、難行と言われる理由は、
@行の種類が多いこと。
A長い時間を要すること。
B小乗に堕する恐れのあること。
という三つであります。即ち、行じにくいから、苦しいから、陸路の歩行のようだから難行と言われるのであり、また易行というのは、簡単な行で、水道の乗船の旅のように安易に行け、楽しく行けるから易行であると説かれてありますから、難行易行の相対は、苦と楽の相対であって、十分その内容批判に及んでおらないのであります。
また、その易行というのも、必ずしも阿弥陀如来の第十八願の行と限るわけにもいかないのであります。このことが後に曇鸞大師の《自力他力の判》となり、道綽禅師の「聖道浄土の二門判」と展開し、阿弥陀如来の易行に限るという思想となるのであります。
(菊藤明道先生のお話)
仏法には無量の門があるといわれています。即ち悟りへの門は限りなく多くあるといわれるのです。これが、古来、八万四千の法門といわれるゆえんです。
しかし、それらの多くの文の中に、大変苦しい難行の道、陸の道を歩いていくようなものと、まことに楽しい易行の道、水の上を船に乗っていくようなものがあると説かれるのです。
これは菩薩が不退の位に到る道について言われているのです。そして難行とは勤行精進であり、易行とは信方便の易行、即ち、ただ仏を信じ浄土往生を願えば、仏の願力によって不退の位に到ると説かれるのです。
龍樹菩薩は、『易行品』第九の冒頭で、「難」について、「諸・久・堕」ということを説いておられます。「諸」とは、「諸難行」という意味で、色々な難行をしなければならないということです。「久」とは、久しくして得ることができるという意味で、長い時間がかかるということです。「堕」とは、「堕二乗」という意味で、二乗に堕ちるということです。三つのうちで、この堕二乗こそ、最も重要な意味をもちます。堕二乗というのは、自分さえ悟りを開けばよいという利己心に執われ、他の人々を救おうとする利他の心を失ってしまうことです。これは、
「菩薩の死」
とも言われ、
「地獄に堕ちるより恐ろしい。」
とされます。
何故なら、たとえ地獄に堕ちても人々を救おうとする心さえ捨てなければ、いつか成仏する可能性は残されていますが、二乗に堕ちるということは、大悲の心、即ち、衆生済度をしようとする心を失ってしまうことを意味し、決して仏果に到り得ないからです。
これを受けて法然聖人も『選択集』で、
「難易義とは、念仏は修し易く、諸行は難し。」
「諸行は、難きが故に諸機に通ぜず。しかればすなわち、一切衆生をして平等に往生せしめんために、難を捨て易を取るを本願とせしか。」
と言われたのです。即ち、
「諸行は難であって、すべての人々ができるとは限らない。かえって、できる人は稀れである。念仏は易行であり、万人が等しく往生できる道である。」
衆生への平等の慈悲、そこに如来の本願の真実をくみとられたのであります。このように法然聖人は念仏こそすべての人が平等に救われていく易行の大道であることを示されたのでした。
(桐渓順忍和上のお話)
阿弥陀如来の易行の内容を示すと、阿弥陀仏のご本願を信ずれば、如来の願力の自然によって、信ずると同時に、未来には必ず仏になると決定した不退転の位に入ることができるのであります。
このように願力自然の力で仏になることに定まった上は、ただ称名念仏して、如来の大悲を報ずべきであることを述べられたのであります。
阿弥陀如来の本願を信ずれば、願力の自然によって即時に往生成仏が決定するということは、信心によって往生は決定するということであって、信心正因を示すものであり、唯よく常に称名して、如来の大悲の恩を報ずべしということは、称名して仏恩を報ぜよということであって、称名報恩を示したものと見るべきであります。
浄土教に於て善導大師が念仏往生と説き、その念仏も称名のことであると決定されてから、法然上人はいつも念仏一つで浄土に往生するという専修念仏の教えを説かれたのであります。
親鸞聖人は、信心往生説を説かれたのでありますが、もし信心が浄土往生の正因なら、法然上人の説かれた念仏はどうなるかというと、往生が決定した後の報恩の行だと示されるのであります。親鸞聖人は、その信心正因、称名報恩は龍樹菩薩の『易行品』によるものであると、ここに示したのであります。その信心が往生の正因になることは、前に述べてきたが、称名はいかにして報恩になるかについて考えて見ると、昔の学者は、
「称名には、上には仏の徳を讃嘆し、下には衆生を化益する徳があるからだ。」
と言っております。即ち、称名することは、仏の徳を讃嘆することであり、また他の人々がその称名を聞いて仏教に入ることがあるから、ご恩報謝になるというのであります。しかし、一つの説では、他の人々が仏法に入るということは、それは如来のお力によるもので、私の称名は仏の徳を讃嘆する外は何もないのであり、その仏の徳を讃嘆することがご恩報謝になるのだという学者もおります。いずれにしても、この場合は、浄土往生の因はあくまでも信心一つであり、称名は往生が決定した後のご恩報謝のためであって、往生の因ではないことを示そうとされたものであります。
(徳永道雄先生のお話)
龍樹菩薩といえば、大乗仏教の祖とも言われ、また親鸞聖人に至る真宗の教えを伝承した七高僧の第一祖であることは申すまでもないことでしょう。
また、その著とされている『十住毘婆沙論』は、特に、その『易行品』が他力易行を明かすものとして、親鸞聖人に重視されたことも言うまでもありません。
『十住毘婆沙論』は大変長く引いてあるので、その引用の意図をつかむことは難しいように思われますが、要するのに、本願念仏の行者は、初地不退転に住するに等しいことを言わんがためであると思われます。初地不退転とは、菩薩がこの地位に到達すれば、もはや挫折したり後戻りすることなく、まっすぐに悟りに向かって邁進することができるという状態のことですが、念仏の行者はこれに等しく、往生浄土への道をまっすぐに歩んでいるのだということです。
この初地不退転は、また歓喜地とも呼ばれます。この『行巻』大行釈の終わりの方のご自釈に、聖人は次のように述べておられます。
「真実の行信を獲れば、心に歓喜多きが故に、これを歓喜地と名づく。」
この文と並んで現生十益にも心多歓喜の益というのが見られることは言うまでもないことでしょう。いずれも『十住毘婆沙論』のこの引文を根拠にしているわけですが、要するに、
「他力の行信には歓喜ということはつきものである。」
あるいは、
「他力の行信を獲た現実の利益として歓喜が語られている。」
のです。
初地の菩薩に等しい本願念仏の行者において、苦はあたかも大海の水のようなものであり、しかもその現実において、心は大いに歓喜するというものでした。それは、罪悪深重の心から生ずる歓喜ではあり得ません。私たちの自己中心的な煩悩の心から生ずる歓喜ならば、それは結局、煩悩の波のざわめきの一つに過ぎないでしょう。大海の水のような煩悩苦を丸ごと救うという本願の大悲に値遇したことからくる歓喜であります。だとすれば、それは最早、私たちの意識にかかるとか、かからないとかの域を越えているに違いありません。
本願念仏の行者は、初地不退転の菩薩に等しいと親鸞聖人は理解しておられますが、その位に備わっている歓喜であり、それ故に歓喜地を言われるのでしょう。本願の大悲に値遇し念仏を口にするということは、最早、そこから逃れたくとも逃れられない自分を知らされるということに違いありません。この『十住毘婆沙論』の引文中にもありますように、すでに、
「如来の家に居る。」
ということに外なりません。
私たちの心が善くて不退転に住するのではなく、また、私たちの心が善くて如来の家に居るということでもなく、本願の大悲そのもののはたらきとしてて、私たちが往生浄土への不退転の位に、即ち、如来の家に住せしめられているということでしょう。その状態そのものを歓喜地というのでなければなりません。したがって、歓喜とは如来回向のはたらきとしての、大行としての念仏に備わった歓喜ということになります。
私たちは信の証として、言い換えると、救いの証としての喜びを求めがちです。しかし、もしそれを私たちの煩悩の心で求めるとすれば、それが獲られない時は、即ち、不安につきまとわれる外はないでしょう。また、たとえ喜びが獲られたとしても、それが私たちの心のはたらきである限り、所詮は日常の喜怒哀楽の一つに過ぎないでしょう。妙好人浅原才市は、喜びについて次のように詩っています。
うれしやと
よろこぶこころ
にげてゆく
あとにのこるは
なむあみだぶつ
これが
よろこぶたねとなる